アジアの多くでは、年長者が敬われる社会です。特に、日本と韓国で強い気がします。
スイス婦人に、この敬う社会について称賛されたことがあります。
「社会を築いてきた経験豊富な年長者を敬い、その指摘に若者が耳を傾けるのは美しい」
「スイスを含め、欧米では、若者が年長者の話を大切にせず、人生を損している」
敬う社会の良い側面です。年長者だけでなく、周囲の方を敬うのはとてもいいことだと思います。
敬われる方は本気でアドバイスしやすいし、人間感情として、無償でも力を貸したくなります。
もし、スポーツでも勉強でも、学びたいことがあれば、経験者を敬うことが大切だと思います。
米国人牧師から、大学教育について、同じような意見がありました。
「MITでは教師が優秀だから学生に敬われており、学生は良い教育を受けやすい」
「学生が教師を見下した態度を取っている大学では、良い授業をしていても伝わらない」
教師側としては「慕われる」ことが大事です。相互に意見を交わしやすく、理解度を把握できます。
教師が慕われる雰囲気を作り、学生は敬う気持ちを持てば、良い教育を受けられる気がします。
例えば、子供たちにスキーのインストラクターをしたとき、一部の子供になめられました。
最初は雪に慣れる遊びや基礎トレーニングだったので、やんちゃな子は言うことを聞きません。
彼らは、「自分達はできる」「もっと難しいことをしたい」、と思っている感じでした。
最終日に林間コースを滑った時、基礎トレをしていた子たちよりも、かなり遅れをとっていました。
とてももったいないな、と思いました。言うことを聞いていれば、もっと楽しめただろうに。
もちろん、私の教え方にも問題があったと思います。慕われる雰囲気を作れませんでした。
しかし、子供側の受け方も問題だと思います。敬う態度を取っていませんでした。
「相手を敬う」というのは教師が教えることではなく、その親が教えることです。
子供の教育として、「大人を敬いなさい」と教えるのは悪いことではないと思います。
しかし、方向とタイミングを間違えると最悪です。
どんな人にも「私(達)を敬え」だけは、絶対ダメ。これを相手に求めたら、周囲を息苦しくさせます。
自分の子供であっても、意見を持ち始めたら「周囲への敬い」を求めない方がいいと思います。
仕事をする上では、必ずしも上司や顧客を敬う必要はないです。
全ての人を敬っていると知識はつきますが、創造的なアイデアは出しにくいです。
意見を鵜呑みにする、活発な議論をしにくい、creativityが生まれにくいというデメリットがあります。
既存の物に囚われない、常識から逸脱するには、人よりも自分を信じる方が大切だと思います。
米国教授との話し合いで、「私を敬うな、ガンガン言いたいことを言え」と言われました。
素晴らしい意見に耳を傾けつつも、自分の考えを信じるバランスが大事だと思います。
MITの学生は両方を兼ね揃えているように思います。
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