ハーバードやMITは、世界を変えるような発明・発見を多数残し、その名前は世界中に知れ渡っています。では、他の大学と何が違うのでしょうか?
「お金があるから成果がでるんじゃないの?」
東大は800億円程度ですが、ハーバードの大学運営費は4兆円、MITは3兆円です。米国大学の場合、殆どが寄付金です。大学周辺にはstart-up企業オフィスと大企業の研究所が立ち並び、不動産価格が年々上昇しています。ボストンのアクセラレーターは非常に充実しているので学生や教員が気軽に起業でき、新しい技術を使って世界中からドンドンお金を吸い上げています。そして、そのお金は、研究費に使うこともできます。
寄付はお世話になった場所にすることが多いように思います。インテルのゴードン・ムーアは、出身校であるカルテックに、毎年数億円寄付しているそうです。多かれ少なかれ、成果があるところにお金が集まるのは事実です。サムスンからは、全く関係のない研究でも「1億円上げるから論文に名前載せて」と言われるそうです。サウジアラビアの王子が研究室訪問に来て、お金を落とすこともあります。もちろん成果がある分、MITは特許も多数出しています。IBMなどの企業出身者を大学教員に呼び込むことで、有益な特許を書ける人も多いです。
「やっぱりお金があるから、成果が出るんだね!」
お金があれば、優秀な学部生を全米中から集めることができ、多数のポスドクと院生を世界中から呼べる。良い待遇で迎えられるし、最新設備も使える。だから、すごい成果を出せる、そしてお金がさらに集まる、、、そう思ってしまいますよね?
でも、実際にMITに来るとそうは思いません。お金があるとは感じられないのです。どのように経営しているかは分かりませんが、設備は大したことがありません。使いたい装置がMITにない場合、ハーバードに使いに行きます。本当に気軽に使えます。正直言うと、東大の方が充実していると思うし、学生からもそういう声が多いです。「ハーバードより東大の方が設備が良いって聞いたけど、どうして日本からわざわざ来るの?」と聞かれたこともあります。
人材に関しても、学部生は非常に優秀な人が混じっており、そういう人は起業したり金融に就職したりして大金持ちになっているそうですが、少なくとも院生はピンキリです。平均すれば東大生の方が優秀だと思います。ピンだけがポスドクとして残り、成果を蓄えた上で大学教員になっています。キリはひどいものです。大学院2年生でも、旧帝大の学部生レベルだったりします。確かに、他の欧米の大学と比べて、MITの学生は深夜・土日問わずよく働きます。でも、それだけでは日本の大学となんら差がありません。
お金がある分、スタッフの数はすごい多いなと思います。事務や技術スタッフが多いので、学生や教員の雑用が減り、勉強や研究活動に専念できて成果が出しやすいのはあるとは思います。しかし、設備や学生がすごいから成果が出るのではないのは断言できます。
「なぜ、成果がでるの?」
教員のレベルが高いのが一つです。米国の大学教員になるには数100倍の競争に勝たなくてはなりません。世界中の研究者を相手にです。学生は大したことがなくても、教員はキレキレです。どれだけ先が見えているのか不思議なくらい深く、かつ幅広く物事を見ています。日本の教員は、成果や優秀さよりもコネでなれる場合もあるし、殆ど日本人内の競争だけだからか、能力的に博士学生と大差がない人もおられます。日本の学生が優秀なせいもあると思いますが、相対的にそのように見えてしまうことがあります。
優秀な教員というのは、画期的なアイデアを出せます。これは博士学生の頃に培われます。米国では創造性を身につけるために学生のアイデアを積極的に採用します。博士の間に、研究者として自立するのです。卒業後に出身ラボと共同せずに、自分のアイデアで一人だけで研究室を主宰できますか?自分がリードして共同研究を提案できますか?米国の博士卒者は、企業就職するといきなり管理職になります。それにふさわしい能力を博士学生の間に身につけていると感じます。それは、優秀さとは違う能力です。修士で卒業する人は少なく、博士課程の長い時間を経て、それらを身に着けているように思います。キリの大学院2年生でも、7~8年目にはよく育っています。
米国教員になるには、複数の教授の推薦書が必要です。ボス一人に褒められても教員の面接には呼ばれません。推薦書も日本と違って、誰にでも「彼は優秀だ」とは書きません。客観的に見て本当に優秀な人だけが、良い推薦書を多数そろえられ、それに論文成果が加わって、ようやく面接に呼ばれます。そこからさらに人間性を見られて教員になるので、本当に人当たりがよく優秀な人ばかりが大学教員になっています。
「優秀、優秀っていうけど、彼らはアイデアをどうやってだしてるの?」
研究するにあたって、周囲の技術レベルの向上とアイデアの両方が重要になります。技術が上がることで、これまでにできなかった成果を出せるのです。これにアイデアが加わって、画期的な成果に繋がります。
技術レベルを鍛えるのも一つですが、MITはアイデアに重点が置かれているように思います。学会やセミナーでいろんな研究者の話を聞いて、ネットワーキングを行い、専門分野問わず見識を広げて、アイデアを出します。そのアイデアは議論している間はとても面白く、ボスやラボメンバーと話しているうちに興奮してしまいます。しかし、実際に実験計画を立てると大きな壁がいくつも連なり、不可能だろ、という気持ちになります。実際にやってみると何度も何度も失敗し、いろんなアイデアを出しますが、どれも上手く行かずに1年間成果が0なんてことはザラです。それでも、他分野にわたるアイデアを出し続けて、実験することで、一つでも上手く行けば成功なわけです。専門分野なんてあってないようなテーマばかりだし、テーマもコロコロ変わります。
MITの人が皆天才でやればすぐに成果が出るのではなく、無茶苦茶なチャレンジしまくっているわけです。MITには多くの屍が転がっています。その上に咲いた美しい1輪の花だけを、外部の人が見ているのです。MITの学生は、深夜問わずストレスに押し潰されそうにながらも、6~8年博士課程を続け、その花を咲かせてやろうと必死です。「MITやハーバードに行けば大きな成果が出せる」なんて思って行くと心が折れるかもしれません。
「じゃあ、技術レベルはどうしてるの?」
アイデアがあっても実現には至りません。日本だと職人のような研究者が多数いますが、そんな学生はおらず、MITの設備も平凡なものが多い。それでも結果に結びつけているのは、共同研究のおかげです。MIT内でも共同研究が活発で、どの学生がどこのラボの人かわからないことが多々あります。そして、MITの人は、世界中の人にも依頼しています。悪く言うと、他人任せです。周囲が共同研究を受け入れてくれるのは、それだけ魅力的で且つ実現可能性が1%くらいはあるからです。
こんなことができる、とMITの人に言えば、その応用先の画期的なアイデアを出してくれます。国際共著も増えるし、トップデータに名前が連なります。日本のような技術レベルの高いラボは、自分で成果を確保せずに、どんどん技術を売っていくべきだと思います。MITの人達は、技術者に飢えています。
一般的に例えると、多くの研究者が山を登ろうとしている時に、MITの研究者は月を目指してる。「すげー楽しそう!月行ったらウサギいるかな?」とか、アイデアだしている時はワクワクするんだけど、実際に自分が行くってなると「いやいや、どうやっていくんだよ?そんな技術ねーよ」となる。計画を細かく練ると必要なものが明らかになって、「とりあえず発射台で世界一、燃料で世界一、ロケットで世界一の研究者達に声をかけてみよう」、と一緒に月を目指すのだ。やってみてダメだったら、「宇宙エレベータとかならいけるかな?」とか他のアイデアをどんどん試す。できるまで。それくらい奴らは無茶してる。ぜ~ったい、一人で達成するのはムリなことをやってる。
「結論!」
MITには、深夜問わず働く労働力があります。でも、それだけなら日本の大学と同じです。設備も学生の優秀さも日本と大して差がありません。日本にないのは、大学の「運営交付金」、教員の「革新的なアイデア・創造性」と「共同研究のネットワーク・協調性」、学生の「就学期間(日本は修士の2年だけだが、MITは大学院に7年前後いる)」だと思います。
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