私は、学生の頃、アイデアをうまく形にできなかった。知識が少なく、自分の出すアイデアに自信がなかった。アイデアを出しても、経験が少なく、具体的な計画が立てられなかったこともある。そういったネガティブな体験は、挑戦的なアイデアを出すことを怯えさせた。「どうせ無理だろうな」「言うのが恥ずかしいな」というリミッタが心の中にできてしまった。そのため、教授の言うとおりに動いているのが楽だった。無難な研究で、しっかりと成果も出た。
博士を卒業して研究員になったとき、確かな知識と技術は身についていた。小さなアイデアもたくさんあった。それで論文を書いていける。しかし、挑戦的なアイデアはなかった。「世界初!」とか「世界一!」というアイデアは出なかった。出せなかった。「何をしたら世界初か?それは面白いのか?本当に実現できるのか?」自信がなかった。心の中のアイデアリミッタが邪魔をしていた。
【アイデアリミッタとなりうる三つの大きな要因】
- 年配者や経験者を尊敬して従順である
- アイデアは突然閃くものと認識している
- 知識と経験が不十分
2は、漫画や映画では豆電球が頭の上にでるシーンだが、まずありえない。考えて考えて考えまくって、何か月もあれこれ考えて、調べまくって、いろんな人と議論しまくって、ようやく可能性が見えてくる程度である。その可能性が見えた瞬間だけを捉えれば、豆電球がピカーン状態だが、そこまで辿り着くプロセスは苦難で長い。面白いアイデアを出すには、グダグダ時間も貴重だ。
3では、アイデアが出ても夢物語で終わる。テレビのコメンテータやtwitterでよくある、専門的でない人がアーダコーダ言っている話である。確かにアイデアとしてはいいかもしれないが、計画が不十分で実現困難なことが多い。実際にやってみて理想と現実の乖離が大きいと、次のアイデアが出しにくくなったり、提案に自信がなくなってくる。
【どうしたらアイデアリミッタを外せる?】
海外に来てから、挑戦的なアイデアも気軽に出せるようになった。知識と経験が蓄積されたこともあるが、雰囲気が大きい。廊下のあちこちにホワイトボードがあって、学生同士が議論しあっている。どんな無謀なアイデアも全否定はされず、一旦は本気で考えてくれる(考察は全否定されることもある)。たまたますれ違った人と進捗を話したり、夢物語を話していくうちに、具体性が出てくることもある。
MITでは特に挑戦的なアイデアが喜ばれる。ちょっとした思い付きで話しても「それ面白いね。どうしたらいいかな?専門の知り合いがいるから紹介するよ」と、実現に向けて話が進んでいく。そういう雰囲気から自信を持てるようになった。実現可能性に関しては経験がものをいう。こればかりはMITとか関係ない。なるべく若いうちに、たくさん挑戦しておくのがいい。どこまで挑戦的な課題なら実現までもっていけるか、線引きができるようになる。大きな成果のための研究計画を上手く立てるには、たくさん挑戦してたくさん失敗するしかない。
最初の勉強は苦痛かもしれない。でも、学会でフルボッコにされることで、やる気が出るときもある。
くそったれーーーッ!!!!
みんな!!オラに知識を可能な限りわけてくれ!
そうして、いろんなアイデアが出てくると、もう誰にも止められない。アイデアが挑戦的であればあるほど、勉強が楽しくて楽しくて仕方がない。
めちゃくちゃ、ワクワクすっぞ!!
一般的な研究者をサイヤ人とすると、アイデアリミットが外れた研究者はスーパーサイヤ人とでも言おうか。一度アイデアリミッタが外れると、あらゆる可能性が見えてくる。そうなると強い。雰囲気や教育次第で誰でもなれる。スーパーサイヤ人をたくさん育てたい。そんなラボ、めちゃ楽しそう♪
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