2017年10月8日日曜日

好きなことをして食べていけるか?

人は生きていくうえで、「食べる」という行動を避けて通れない。それも一度ではなく、ずっとである。毎日何かを食べていくためには、現代社会では「お金」を稼がないといけない。たとえお金が大嫌いで浮浪者になったとしても、僅かばかりのお金だけは恵んでもらわないといけない。そうしないと、法を侵さない限り食べ物にはありつけないだろう。他者を傷つけることなく、自己を生きながらえさせるには、お金を稼ぐ以外に方法はないのだ。

お金を稼ぐというのはどいういうことだろうか?他の人がやらない労働というものをして、その対価としてお金をもらうことである。みなが同じことをしては、誰も食べられなくなる。食べ物を作る人がいても、運ぶ人がいなくては、食べ物にありつけない。運ぶための道具もあるといいだろう。食べ物を加工することで、植物が育たない寒い冬を越せるだろう。何百年も昔から、人は役割分担をし、それぞれが違う労働をすることで社会を構成してきた。その社会では、より多くの人に求められる労働ほど対価が大きくなる。

AIやロボットなどのテクノロジーと呼ばれるものが発展すれば、生産効率が良くなって、食べ物を作る人も、運ぶ人も、加工する人も、少なくて済むだろう。その分、テクノロジーを生み出す人が多くの対価をもらうことになる。今の社会がその発展段階にある。テクノロジーが進み、みなが欲するテクノロジーを開発した一部の人だけが、世界の富の大半を手に入れている。

究極的にはどうだろうか?もし生産者が0になるまでテクノロジーが進むと、開発者が「全てのお金」を手に入れることになる。生産者をなくすテクノロジーとは何か?自分でエネルギー生み出し、自分でプログラムを組み、自分で生産し、自分で修理する機械だろう。そこに人はもういない。そして、その社会に「お金」という概念はあるのだろうか?労働をしなくても食べれる社会では、人は何をして暮らすのだろうか?

そういった過去を考え、未来を想像した上で、近年は、国際化による激しい競争に後押しされて、急速にテクノロジーが発展してきている状況にある。「もっとお金がほしい、そのためには人と違うことをしなきゃ、新しいアイデアを出さなきゃ」と自らを鞭打っている。

話がそれたが、そんな今の社会で、好きな労働をして食べていくことはできるのだろうか?と問いたい。やはり、お金を稼ぐには他の人にはできない労働をするのが一番いいと思う。つまり、自分にできることをやる。得意なことで稼ぐ。やりたいことをやっていても、他の人がそれを求めていない(前者)ならお金にはならないし、求めていても多数の人が同じことをできるorやっている(後者)のであれば、大したお金にはならないだろう。後者の場合、やりたいことをして生きていきたい人でも、最低限の生活さえできればいいのであれば食べていけるだろう。しかし、前者の場合だと、やりたいことをしている以外の時間でお金を稼がないと生きていくのが難しいだろう。

得意な事を見つけるには、いろんなことに挑戦してみないとわからない。得意なことを見つけるためには、好きなことをし続けるのもいいだろう。好きなことは長く継続できるので、その間、自分の長所と短所が見つかるかもしれない。

夢を追いかけるのもいい、好きなことをやるのもいい。そんな人はきっと幸せだ。ただ、たくさんのお金まで求める場合は、気を付けたほうがいい。その夢やら好きなことやらで、人を魅了させる必要があるからだ。それは不可能ではないが、とてもとても大変なことである。そして、好きなことをして稼ぐには、社長(個人事業主)になるのがもっとも簡単だろう。何かの組織(会社)の中では、組織が最優先される。自分の好きなことをやろうとしても、組織の方向性に合わなければ認められない。それは、自分一人で好きなことをして稼ぐことよりも、よっぽど難しいことだろう。

現在社会で最も幸せなのは、自給自足と好きなことが合致している人たちではないだろうか。一部の農家や漁師である。他にも、テクノロジーでより多くの富を得た人らがあげられる。彼らはもう必要以上に労働をしなくてよいので、好きなことをしていても生きられる。他の人は幸せではないのか、といえばそうでもない。ただ、自分の中で線引きが必要だ。幸せを感じる場所にもいろいろある。働く間、家族や友達といる時、趣味の瞬間。自分が何をして、どれを大事にして、どんな生活をしたいか。うまくwork-and-lifeバランスがとれれば、どんな人にも幸せになり、好きなことをして食べていくことはできるはずだ。

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