2017年10月1日日曜日

アイデアの源泉 ~宗教的視点から~

日本では「私は無宗教だ」というスタンスの人が多いのではないでしょうか?私も留学前までそうでした。しかし、欧米に来てキリスト教、イスラム教、仏教の人と話していると「本当に私は無宗教なのだろうか」という疑問が生じてきました。私は、神道に則って正月に初詣をし、思いやりや親孝行に儒教的思想を持ち、葬儀では魂の捉え方に仏教的考えを持っていることを実感しました。例えそういう思想を持たない方でも、困ったときに無意識に神頼みをした時点でなにかの宗教に属していることになると思います。

日本では(神道+儒教)の考えを持っていると言われます。私はどの宗教にも詳しいわけではありません。軽く古事記の情報を見た感じでは、神道には多くの神がおり、神々が日本の島や国を作ったそうです。神々の中にはマガツノカミのようなnegativeな神もおり、災害は神の戯れと捉えられます。一方、友人の話では、キリスト教は唯一神であり、祈る相手はどんな時もキリストだけのようです。災害が起きれば、それは人々の行いが良くなかったためにキリストが下した判断と捉えられるそうです。自然災害を減らすために、神道ではお祭りなどで神の怒りを鎮める方向に、キリスト教では自分達の行いを正す方向に進むようです。どちらも宗教であるため、天災を制御するという科学には至り難いですが、神道であれば、お祭りの中にそのヒントが隠されていることもありそうです。自然現象に関するこのような視点の違いは、研究する際のmotivationにも関わってくる気がします。最近、日本人と欧米人の研究に対するapproachの違いの根本の一つに、こういった思想の違いが関連していないのか気になっています。自分のアイデアの源泉が分かれば、もっと効果的にアイデアを引き出す方法があるのではないか、と思うからです。

日本人の教育姿勢に大きく影響を与えているのが、儒教の考え方です。他人にも優しく思いやりを(仁)、私利私欲に囚われるな(義)、目上の人を敬え、親孝行しろ(礼)、勉強して知能を活かせ(智)、約束を守れ(信)、などです。親も先生も、知らず知らずのうちに儒教的な教育スタイルで子供や学生を教えているように思います。少なくとも私の子供の頃はそうでした。自分に儒教的思想があったなんて、というのは国外に出て初めて気づいたことです。

日本と欧米では考え方や生活スタイルが違うのに、成功している欧米の機関の手法をそのまま真似しても、ちゃんと日本文化に溶け込み、日本の研究者に適合するかどうかは別問題です。もし、日本人が国際競争でもぶっちぎりに勝てる独自の研究スタイルがあるのであれば、見つけたいです。日本と欧米の表面上の研究スタイルを比較するのだけでなく、もっと源泉を辿って、宗教的・文化的な教え方や考え方の長所と短所にも着目し、日本の若者の創造力や協調性などを効果的に培える方法を客観的に探っていきたいです・・・とか書いていて、自分が危ないことを言っている人に思えてきました。他人に自分の思想を植え付けるつもりはありません。伝えるとしても研究手法・approachのみです。文章にするのは難しいですね。

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