2017年11月2日木曜日

研究環境

【雇用環境】
研究職は能力社会であり、採用時に高い競争に曝されます。研究所や企業の研究部門では、努力ができる人よりも、結果が出せる人をリーダーとした方が生産性が高く、好まれます。一方、大学のような学術研究を行う場所で新しい分野を作ったり、ノーベル賞をとれるような成果を出すには、長期的研究が不可欠です。結果主義に走りすぎると、長期の基礎研究が疎かになります。これは、若手研究者にとってかなりのジレンマです。3年前後で結果を出さないと、次のポストが見つからないからです。最近では、日本の若手研究者に、安定なポジションと十分な研究費を与えようという傾向にあります。

日本の地方大では、まだ講座制が使われていることが多いです。教授-准教授-助教という流れで、トコロテン方式に昇進します。助教になれば、あとは時が流れるのを待つだけです。メリットは、若手研究者が高額装置を買わなくても大きな仕事ができることと、比較的安定なポストなので、長期的研究に取り組めることです。デメリットは、助教のポストの競争が低いことです。結果を出せる研究者が選ばれているとは言えません。一方、比較的人気の高い旧帝大では流動性が高く、より優秀な人材を外部から採用し、助教になっても同大学の准教授になれないことが多いです。欧米では、日本の旧帝大同様、激しい競争に曝されます。違いは、優れた研究設備・環境を与えられた上で、短期間でどれだけ結果が出せるかが試されます。お金がなかったから結果を出せなかった、という言い訳が通用しません。

結果を出せる工学研究者というのは、概して、現実的な研究計画を立てられて、かつ物理をよく分かっています。ポスドクになる頃には、誰しも、結果を出すのに十分な技術や知識が備わっていると思います。優れたポスドクというのは、その経験を活かして、研究課題を結果に繋がるように、しっかりと計画を立てています。物理を理解している程、その実験手順と目標とのギャップが小さくなり、短期間で目標を達成できます。ポスドクにとって大事なのは大きなことを成すのではなく、着実に結果を出すことです。そうしないと次のポストがないからです。助教になったら、natureなど、より大きな結果を求めた方がいいです。科研費を獲得できる確率が上がりますし、成果との合わせ技で、准教授になれる可能性が上がるからです。

私は、研究開発部門の大学教育で重要なのは、結果を出せる博士学生を育てることだと思います。日本の大学では結果を出すことよりも、知識の拡充に重点が置かれているような気がします。結果、高学歴ワーキングプア、という状態を助長していると思います。博士課程の学生は、興味のある研究内容だけでなく、指導教員も念入りに調べた方がいいと思います。「研究職が競争社会にある」という概念のない日本の学生が多いように思います。「のんびりと自分のやりたい研究をしたい」という考えがあるようですが、それができるようになるのは、競争に勝ち抜いた後の話です。博士課程に進学するなら、是非、競争社会で生き残れる研究室を選んでください。ただ「のんびりと研究したい」というのであれば、ボスの提案する研究しかできないし、雑務も増えますが、Scientist(技術職)という選択もあります。プレッシャーが少なく、勤務時間も短いので、家族との時間を重視する方にもお勧めです。

競争社会で生き抜くには、常にキャリアのバックアップを考えておくことが大切です。博士修了→助教と考えていても、人生、そう思い通りにはいきません。最悪の場合も想定し、後悔しない道を用意しておきましょう。仕事に求めるものが、科学界なのかお金なのか、でバックアップの方向性も変わってきます。お金稼ぎであれば、ポスドクを経て外資系金融・コンサルに就職する道があります。科学関係であれば、scientistやメディア、第1種国家試験、学振、博物館といった選択も出てきます。こういったバックアップを用意しておくと、将来の不安も小さくなるし、海外ポストなどにも挑戦し易くなります。

私は、学生の頃から、平日は研究に専念し、休日に様々な就職先を調べていました。競争社会では学歴は大して重要ではありません。何をしてきたか(結果)が最重要です。研究者のレールは、「博士→助教→准教授→教授」の一本ではありません。納得のいく環境を選択して進めるように、学生の頃から様々な可能性を考えることをお勧めします。


【労働環境】
欧米と日本で残業時間に差が出るのは、重点が客か労働者かの違いによるものだと思います。日本では「お客様が神様」なので、丁寧かつ繊細な仕事が要求され、自然と仕事が増えてしまいますが、客側としてはとても暮らしやすくなっています。一方で、欧米は、全ての仕事が雑で客側としては不満だらけ(返品・クレームが当たりまえ)ですが、働く側としては、休みが多く、仕事と生活のバランスを取りやすくなっています。また、日本は最初から完璧なものを作るため、製品としては最高の品質があるのですが、アイデアから製品化までに時間を要しますし、製品化後に変更があってもシステム(ソフトとハードの構成)が完成されているため、大規模な改変が難しい(高コスト、長時間)というデメリットがあります。これらの要素が労働時間を増やしているような気がします(日本文化の良いところでもあり、悪いところでもある)。

給料も、もらうべき人が相応の額をもらっていない気がします(本当に個人的感覚)。欧米では優良製品は高いですが、日本では安くて優れた製品が手に入ります。価値と価格が釣り合っていません。特に、研究者やデザイナーのような高付加価値を生む人にとっては辛い環境であり、優れた絵画を描いても、日本ではオークションで安く買いたたかれてしまいます。そんな中でも高く売ろうとすると、お金に目が眩んでいるとして周囲に叩かれます。これも、労働者に優しくないが、生活者に優しいという日本特有の環境を生んでいると思います。競争社会である研究者やデザイナーにとって、若い間は、ゆっくりたくさん稼げる欧米の方がよく、年を取ったら、丁寧に対応してくれる日本が生活し易いと思います。


【実験環境】
様々な文献を読んでいると、戦後の日本にはお金がなかったが、装置を自作・改良して新しい成果を出していたようです。戦後からはだいぶ後ですが、LEDの発明・開発でノーベル賞を受賞した、中村修二氏もその優れたエンジニアの一人だと思います。彼は、LEDの物理や結晶の化学といった知識を身に着けただけでなく、結晶成長用のガラス細工を自分で行ったという話を聞きます。電気系の専門の人なら、確かに電気配線や装置の改良は自分達で行いますが、基本的に部品を寄せ集めて作ります。大学によっては学内に機械工作室がありますが、部品まで作ったりするのは非常に稀です。今や名誉教授(工学)になっている方々の文献を読んでいると、ないものは作ってしまえというのが当然のようで、彼らの知識だけでなく、職人技には感嘆します。しかし、今でも日本の研究室は、幅広い分野を一つのグループでやってしまいたい、と考える人が多いように思いますが、それでいいのでしょうか?

当時からすると、科学技術は飛躍的に向上し、実験装置の自動化・高度化がかなり進んでいます。頭を使わなくても、スイッチを押すだけで、LEDを作れてしまう時代になりました。微細加工(10nm以下)・観察(30pm程度)できるようになったおかげで、様々な物理が原子レベルで発見されるようにもなりました。一方で、各工学系研究室がインパクトの高い成果を上げるには、高額装置が必要になりました。装置一つに様々な技術が搭載されており、研究室レベルでは自分達で修理・改良するのがかなり難しいです。技術スタッフの費用も含めて高額になるため、欧米の大学では、装置を共用する傾向にあります。

例えば、購入すれば20億円程度かかると言われている、世界最高の分解能を誇る電子顕微鏡に対して、申請(採択率70%)が通れば、世界中の大学が使用できます。この場合、世界初の物質、世界最高品質の材料を作ることができれば、世界最高性能の共用装置を使うことによりscienceなどに掲載できる可能性がでてきます。結果、各大学は材料研究のみに注力できることになります。高度な研究の運用費を安く抑えることができるし、共用装置側も高い稼働率・高効率化を実現できます。全てのことを自分達で行うのではなく、専門知識・スキルを高めて共同で研究を進めていくことで、予算を抑えつつ、質の高い研究が行えるというわけです。

専門に特化しているだけでは視野が狭くなるのではないかと懸念されますが、そんなことはないです。装置の共用とともに、国際共同研究が活発化することで、物理・化学・生物の分野が融合されています。欧米の教授たちは、学部の垣根にとらわれず、プロジェクトで話を進めています。例えば、「オプトジェティクス」というプロジェクトを大学内に立ち上げ、それに詳しい教授たちが数年間予算を出し合って進めていくとします。小型LED開発、脳細胞研究などが融合し、工学、医学、心理学といった境界もなければ、物理、化学、生物といった垣根もありません。成功・失敗に関係なく、ある程度、結果が論文にまとまったら、そこで解散。また違うプロジェクトを立ち上げて、他の教授たちと組みます。大学内だけでなくEU圏内で数億円のプロジェクトがあるし、世界中で拠点ができたり消えたりしています。こういった幅広い専門を必要とする研究を一つのグループでやろうとすると、とんでもない予算と知識・技術が必要になります。


【少ない研究費への対応策】
私は、一人でなんでもできる研究と、協力し合わないといけない研究があると思います。例えば、アイデア勝負の研究。これは、独占的に研究を進めることもでき、低コストで済むことが多いので、共同研究の必要はありません。一方で、宇宙開発や原子スイッチなど、高額装置や幅広い専門知識が必要な研究は協力しあうべきです。日本の文化なのか過去の成功事例を参考にしているからなのか、日本では自分達だけで研究を完遂させたいという人(前者側)がまだ多いように思います。研究室見学すると、装置の稼働率の低さに驚きます。装置の高額化だけでなく、日本では研究予算が減少傾向にあります。海外機関に負けまいとするのは良いですが、高額研究に対しても一つの研究室・グループで全てを行おうとするのは無謀ですそれでも、自分達だけで結果を出したいなら、幅広い専門を有する研究や高額装置の使用を諦めて、アイデア勝負に重点を置くべきでしょう。全て欧米の真似をする必要はないですが、時々刻々と変わる環境の中で、能力が最大限に発揮される手法を選択すべきだと思います。

ここに書いたのように、欧米では、研究費の利用の大半が人件費+共同装置であり、トップ大学でも自分の研究設備は10畳程度に数台の装置しかない場合があるのに、それでもnatureにバンバン出ていたりします。日本の大学は確かにお金がなくなってきています。しかし、「お金がなくて研究ができない、論文がかけない」というのは、地方大ではわかりますが、最低限の設備の整っている旧帝大では言い訳に過ぎないと思います。旧帝大は、まだまだ削減したり、うまく運用したりできることがあると思います。アイデアがあれば、何千万円もお金がなくても、nature関連誌に載せることもできます。研究のアイデアはポーンと生まれるのではなく、深く考えたり、様々な人と議論し合って生まれるものです。日本の大学にとって問題なのは、お金より博士課程の学生数と教員の自由な時間ではないでしょうか?

教員にとっては、議論したり、アイデアを考える時間がとても大事だと思います。しかし、日本の教員は、雑務が多すぎます。大学の予算が削減されている分、事務員の数も減り、教員の仕事量がさらに増えています。一体、いつアイデアを考えたらいいのでしょうか?雑務のためにWordやExcelと戦う時間を、可能な限り減らすべきです。欧米の大学では、事務員の数が倍近くいます。例えば、物品を購入する際、欧米の教員は、学生が発注した商品を確認し、承認ボタンを押すだけ(1分)で、他は全て事務員が行いますが、日本の教員は自分で購入物品を記載し、発注し、検品しなくてはいけません(計数十分)。これに、装置の保守管理も加わると、時間がいくらあっても足りません。一部の研究費の不正使用によって、ますます規則が厳しくなり、雑用が増えています。お金に加えて時間まで失われては、生産的なことは何もできません。

日本の教員側の問題点をあげるとすれば、意識が挙げられます。国内会議では他の教員と進捗を話すだけですし、国際会議では日本人同士集まって話しています。国際共同研究まで繋がることは稀です。なぜでしょうか?もしいろんなアイデアを持っていれば、共同研究の可能性があちこちに転がっているはずです。なんでもかんでも自分の研究室でできるはずがないです。時間がなければ仕方ないですが、一度本気でアイデアを考えてみませんか?各教員が今まで以上にアイデアを出し、協力しあえば、大学ランキングで日本の評価が低い要因である、natureの本数、論文数、被引用件数、国際共同研究数も自然に増えると思います。フーリエNMRのノーベル賞受賞者、エルンストは「何ヶ月も実験せず、机に向かって考えて考えて考えまくって」アイデアを出したそうです。

"Think, think, think" by Winnie-the-Pooh

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